科学と人間社会U
調査事例:モンゴル
「社会主義体制から市場経済へとモンゴルは変わったが,変革の直後は混乱していました。このとき,いわゆる西側諸国ではじめて元首(首相)が訪問するなど,日本とは関係ができていました。そこでモンゴルは日本へ鉱業振興のため,地質鉱物に関する協力を要請しました。」
1モンゴル概説
2地質を通した国際協力
3モンゴルの地質と鉱物資源
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・モンゴルは1990年代初めまで社会主義国であったが、現在は世界各国と交流する平和な国である
・社会主義放棄後、モンゴルは日本に地質鉱物分野での技術協力を要請した
・モンゴルは資源国で多くの鉱物資源を産出している
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1モンゴル概説
「モンゴルは大元帝国として世界を席巻した時代があった。その後,清王朝下におかれ,続いてソ連の衛星国として社会主義国となった。現在は世界各国と交流がある平和な国である。」
モンゴルの歴史抜粋
紀元前1300年代よりモンゴル高原での国家や民族の興亡があった。
中国が統一国家となる秦(前221-前206)や漢(前漢,前206-後8;後漢,25-220)の頃,モンゴル高原では匈奴(きょうど)が栄え,秦や漢との争いがあった。匈奴が滅んだ後,モンゴル高原では国家や民族の興亡が続いた。10世紀になり,中国史書にモンゴルが登場してくる。
1206年,チンギス・カンがモンゴルを統一した。チンギス・カンの後継は,中央アジアから東ヨーロッパとモンゴル帝国の拡大を進めた。クビライ・カアン(在位1260-1294)は,大元と国名をあらため,大元帝国をとした。
チンギス・カン(ウィキペディアより)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/35/YuanEmperorAlbumGenghisPortrait.jpg
モンゴル帝国の変遷(ウィキペディアより)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ea/Mongol_Empire_map.gif
清朝(1612-1912)の台頭で,モンゴル族は清朝統治下に置かれた。1911年の辛亥革命で外蒙古ではボグド・ハーンが独立をめざした。1917年のロシア革命,1922年のソビエト社会主義共和国連邦成立に続き,1924年モンゴル人民共和国が成立,モンゴルは世界で二番目の社会主義国家となった。
1917年ペトログラード・ソビエト会議(ウィキペディアより)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/46/1917petrogradsoviet_assembly.jpg
長らくソ連の衛星国として共産圏の中にあったが,1991年にソ連が崩壊すると,1992年に新憲法を採択して社会主義を放棄,モンゴル国と改める。
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地勢と産業
東アジア北西部に位置し,西には4300mのアルタイ山脈と3500mのハンガイ山脈がそびえ,東には1000-1500mの高原が広がる。面積は157万平方キロ,日本の4倍程度。北をロシアと南を中国と接する。
モンゴルの位置(ウィキペディアより)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f3/Mongolia_%28orthographic_projection%29.svg
人口:300万人で名古屋市より少し多い
面積:157万q で日本の4倍
首都:ウランバートル(人口124万人)
産業:鉱業が主要産業で,GDPの2割,産業総生産の7割,輸出の9割を占める(2011年)
Population: 3 million (Nagoya 2.30million)
Area:1.57million km (4 times of Japan)
Capital: Ulaanbaatar (Population 1.24
million)
In 2011, the mining sector has produced 20.2% of
Gross Domestic Product (GDP), 69.6% of total industrial product and 89.2% of
total export product.
資本主義化してまもなく30年になろうとしている。2018年,モンゴルのGDPは130億ドル,一人当たりのGDPは約4000ドル,世界平均の40パーセントの水準である。
産業は主に畜産業と鉱業で,政府は金,銅,モリブデン,石炭の開発を推進している。畜産は,羊,山羊,牛,馬,駱駝(らくだ)を飼育している。
モンゴル国の人口推移(1961-2003年)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Mongolia-demography.png
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日本との関係
1274 文永の役:元軍,九州に来襲
1281 弘安の役:元軍,再度来襲
いずれも台風の襲来により元の日本侵攻は失敗に終わる。
Mōko_Shūrai_Ekotoba.jpg
(4334×1462) (wikimedia.org)
蒙古襲来絵詞 文永の役の鳥飼潟の戦い(ウィキペディアより)
1939 ノモンハン事件:ソ連と連携したモンゴル人民軍と日本軍(関東軍)が戦火を交える。
ノモンハン事件(ウィキペディアより):
擱座(かくざ)したソ連軍装甲車の横で戦う日本兵
1945 ソ連対日参戦:ノモンハン事件と同様にソ連と連携したモンゴル人民軍と日本軍(関東軍)が戦火を交える。日本兵は戦後モンゴルに抑留。
1972 日本とモンゴルが国交樹立。
1991 当時の首相海部俊樹がモンゴル公式訪問。西側では初めての元首訪問。
現在は貿易や文化交流が日本とモンゴル間で盛んである。
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問題1
1939年にモンゴルと当時の満州国国境付近で,日本軍とモンゴル人民軍が戦火を交えた。この事件を何と言うか?
回答例
→リンク
まとめ
「モンゴルは日本の4倍の面積をもつアジア大陸の内陸国です。鉱業や牧畜業が盛んです。歴史的には日本と争った時期がありましたが,現在は良好な関係です。」
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2モンゴルにおける地質を通した国際協力
「社会主義が崩壊した直後,モンゴルは日本に地質鉱物関連の協力を要請した。日本は安全保障上の観点からもモンゴルに積極的に協力を行った。」
日本への協力要請
モンゴルは,長らくソ連の衛星国として共産圏の中にあり,COMECONの中での役割分担で資源開発をしていた。1990年までは旧ソ連・東欧諸国の
援助を受けて鉱物資源及び石油資源に関する調査を実 施していた。1991年にソ連が崩壊すると,旧東側諸国 からの援助が大幅に縮小した。モンゴルでは1992年に新憲法を採択して社会主義を放棄しモンゴル国となり,自助努力と
西側諸国からの援助が期待されることとなった。
社会主義から市場経済への移行の混乱の中,モンゴル政府は,地下資源に関する地質調査と資源
探査技術の向上を図るため,我が国にプロジェクト方 式技術協力を要請した。1991年に海部首相のモンゴル訪問があり,日本の協力に期待することが大きかった。
海部俊樹(モンゴル訪問の頃,ウィキペディアより)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d4/Toshiki_Kaifu_19890810.jpg
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地質鉱物プロジェクト -地質を通した国際協力事例-
上位目標は鉱業振興,ただし,投入規模(資金,実施期間)から鉱山開発まで行うことは不可能。
そこで公的地質調査機関(地質調査所)の近代化をめざし,技術移転を通した人材育成を行った。
すなわち,鉱業への投資環境(人材)を整え,外資の鉱山会社を呼び込む体制作りを行う。
ソ連の指導下で行われていた地質鉱物調査を西側の市場経済化のもとで行える体制づくり。例えば,成果を英語での発信できるようにし,西側企業の投資環境を整える。機器を導入し,その利用法などの技術移転を行う。若手職員を育て,プロジェクト撤退後も自立して継続できる体制を作る。
プロジェクトはJICAの事業として行われた。
期間:本体プロジェクト1994.3〜1999.3,アフターケアプロジェクト2002.3〜2004.3
JICA(国際協力機構)とは:
政府開発援助(ODA)の実施機関。開発途上国等の経済及び社会の発展に寄与し,国際協力の促進に資する。
JICA中部(ウィキペディアより)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/50/JICA_Chubu.jpg
ささしまライブの向かい。1階展示で国際協力を学ぶことができる。
Institute
of Geology and Mineral Resources Project
The
upper goal is to develop mining industry.
Each
mine development is hard under time and finance limit.
Through
technical transfer, geology and mining activities will develop in the country.
Foreign
investment will be accelerated for geological survey and mining activity.
Outline
of the Project
Cooperation
of Project Type in JICA scheme
Main
project 1994.3-1999.3
After
care project 2002.3-2004.3
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プロジェクトの柱は次の3つである。
(1)日本からの専門家派遣,(2)機材供与,(3)モンゴル側カウンターパートの日本での研修
・専門家派遣の内容: Experts
長期専門家
現地に滞在してプロジェクトを推進する Long term experts
リーダー Project adviser (Leader)
調整員 Project coordinator
地質学 Geologist
鉱床学 Economic geologist
化学分析Chemist
短期専門家
1ヶ月程度現地に派遣して指導する Short term experts
調査シーズン(主に夏)に,地質,鉱床の専門家が現地でモンゴル側と一緒に調査する
Geologists and Economic geologists in field season
化学分析や薄片製作の専門家,機材利用法の指導を行う
Chemists and Engineer for laboratories
地理情報システムの専門家,機材据付(メーカーから)
Expert of geographical information system
Engineer for installing equipment
・機材供与: Donation of equipment
調査機材(ハンマー,幕営機材,車両)
For field
survey, survey equipment, logistic equipment and vehicles
化学分析機材
AAS 原子吸光分析装置 AAS
(Atomic Absorption Spectrometry)
ICP 誘導結合プラズマ発光分光分析装置
(Inductively Coupled Plasma Optical Emission Spectrometer)
XRD X線回折装置
(X-Ray Diffraction)
・カウンターパート研修: Training
in Japan
日本で2ヶ月 Around two months in Japan
約20人
Around twenty persons
派遣先Contents of training
地質調査所 Geological Survey of
Japan
同和鉱業 Dowa Mining Company
島津製作所 Shimadzu Corporation
島津製作所(ウィキペディアより)
付録:紹介,ウランバートル市内
建国の英雄スフバートル像(ウィキペディアより)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/68/The_Statue_of_Sukhubaatar.jpg
オペラ劇場(ウィキペディアより)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1d/State_Opera_Theater_of_Mongolia.jpg
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プロジェクトの成果
・地質調査や分析方法の技術移転Technical transfer of geological mapping and chemistry
モンゴルでの地質調査のようす(産総研より)
https://www.gsj.jp/publications/images/geppou51-05b.jpg
草原とゲル(ウィキペディアより),こんなところにキャンプし調査を行った
・成果物:20万分の1地質図6区画作成,金鉱床発見
モンゴル中央部バヤンホンゴル地域で20万分の1縮尺の地質図を6葉作成した。
作成した地質図の一部(産総研地質資料より)
https://www.gsj.jp/data/openfile/no0345/OFR345app_Mongolia_L-47-17.pdf
Quadrangle
geological maps, Find of gold deposits
・成果物:英文雑誌の編集・出版 Editing of English geological journal
1996年にモンゴルではじめての英語の地質専門雑誌「Mongolian
Geoscientist」を出版印刷した。当初はプロジェクトの出版物であったが,プロジェクト終了後はモンゴル地質学会の公的出版物として受け継がれている。
モンゴルの地質専門雑誌
最近の雑誌:オンラインフリーアクセス
https://www.mongoliajol.info/index.php/MGS/issue/archive
アーカイブ抜粋: テクトニクス / 資源地質 / 巡検案内(プロジェクト推こう時)
・国内及び国際学会の開催 Organizing of domestic and international conferences
1998年にモンゴルで初めての英語による国際学会を主催した。プロジェクト関係者以外に国内の研究者,ヨーロッパの研究者が参加した。この学会はその後もモンゴル側が受け継いで数年に一回開催されている。
モンゴルで開催の東ユーラシア地質会議野外見学会の参加者の記事(日本地質学会HP)
http://www.geosociety.jp/faq/content0089.html
・インターネットの普及で世界へ情報発信 Distributing geological information of Mongolia
英文雑誌のオンライン化はその代表。
そのほか,地質図索引などで情報発信を行っている。
JICAによるプロジェクト紹介と評価
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問題2
外務省所管で政府開発援助(ODA)の実施機関はどこか。
回答例→リンク
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まとめ
「日本のモンゴルへの地質鉱物関連協力プロジェクトは,専門家派遣,機材供与,カウンターパート日本研修の3つを柱に行われ,多くの人材を育成した。プロジェクトでつちかった経験はモンゴルに浸透し,例えば英文雑誌の定期的刊行が続いて,中央アジアの地質情報誌となっている。」
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3モンゴルの地質と鉱物資源
「前述でモンゴルの地勢や歴史,日本の地質プロジェクトを紹介した。ここではモンゴルの地質調査や資源開発の歴史や現況を述べる。
モンゴルは鉱業が盛んで,このため,社会主義の頃より地質調査が行われていた。地質学的には,北側のシベリア卓状地と南側のタリム・北中国ブロックにはさまれた中央アジア褶曲帯に位置する。鉱物資源が豊かで,現在,金,銅,鉄,石炭,蛍石を盛んに採掘している。」
地質調査略史
英雄の時代
R. Pumpelly (米):最初にモンゴルを踏査した地質専門家。1864年,タバントルゴイの石炭を報告。その前は,幕府に雇われ北海道調査
V.A.Obruchev(露):1892年から60年間調査。1957年にモンゴル全土の地質図完成
R.Ch.Andrews(米):1922年〜1930年,ゴビ砂漠で恐竜やその卵の化石を発見
ロイ・チャップマン・アンドリュース(ウィキペディアより)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ce/Roy_Chapman_Andrews_50488r.jpg
(1884-1960),20世紀初頭にモンゴルや中国を探検,インディアナ・ジョーンズのモデル。
社会主義時代
1925年,ロシア科学アカデミーにモンゴル科学委員会設置,西モンゴルの調査始まる
1939年,鉱山鉱物資源トラスト(後の地質調査所)と科学委員会に地質研究室(後のモンゴル科学アカデミー地質研究所)設立
1950年〜1969年,ズンバヤン油田生産
1965年,シャリンゴル石炭鉱山操業開始
1968年〜,地質図幅調査盛んになる
1978年,エルデネット鉱山本格的操業開始
1978年,バガヌール石炭鉱山操業開始
社会主義崩壊後10年くらい
1990年代前半より,日本が関与(地質調査所,金属鉱業事業団,林原自然科学博物館)
1992年シビーオボー石炭鉱山生産開始
1994年-1999年 JICAモンゴル地質鉱物資源プロジェクト,人材育成を行う
1997年鉱業法改正で外資系鉱山会社参入が容易になる
オユトルゴイ鉱床,2002年よりアイバンホーが探鉱権譲り受ける
タバントルゴイの石炭に各国が注目
ウラン鉱床にも注目等々,賑やかになる
学術面は百家争鳴,日本からも多数のグループがモンゴルに入るようになる
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モンゴルの地質概説
モンゴルは,大局的には北側のシベリア卓状地と南側のタリム・北中国ブロックにはさまれた中央アジア褶曲帯に位置する。この褶曲帯は古生代の褶曲帯の集合体で,巨視的には南側に湾曲した弓形を呈する。モンゴルの地質構造区分は古生代末期までにその基本が完成した。これらの基本的な地質体形成とともに古生代から中生代にかけ活発な火成活動があり花こう岩や火山岩が広く分布している。
中生代から新生代にかけ陸成の堆積盆地が生じ,そこの堆積物に石炭層をはさみ,恐竜で代表できる大型化石を産出する。新第三紀から第四紀には深部からのマグマの噴出があり火山岩が産出する。インド亜大陸の衝突の影響が今も続き大きな地震が起きることがある。
単純化したモンゴルの地質図
http://y95480.g1.xrea.com/geomon3.png
100万分の1地質図閲覧サイト
http://y95480.g1.xrea.com/mapdatamongolia.htm
地域に分けて,それぞれの地域の100万分の1地質図や研究を知ることができる。
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モンゴル鉱業すう勢2019(JOGMECより)
http://mric.jogmec.go.jp/wp-content/uploads/2020/01/trend2019_mn.pdf
上記のサイトの抜粋:
モンゴルは鉱物資源に富んだ国であり,主要鉱物には石炭,銅,ウラン,蛍石などがある。
また,モリブデン(生産量:世界第 10 位(0.7%),埋蔵量:世界第 7 位(1.5%)),タング ステン等のレアメタルのポテンシャルもある。鉱業はモンゴルの基幹産業の1つであり,GDP の 3 割,工業生産の 7 割,輸出の 8 割を占める。
主要金属鉱石生産量(純分)2018年(千トン)
鉄鉱石 6225.4(世界シェア0.3%,ランク18)
銅 320.2 (世界シェア1.5%,ランク15)
錫 0.06 (世界シェア0.0%,ランク16)
モリブデン 2.5 (世界シェア0.9%,ランク9)
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鉱山事例:
オユトルゴイ鉱山(ウィキペディアより)
モンゴル南部,ウムヌゴビ兼ハンボグドにある鉱山。ゴビ砂漠の中にあり,露天掘りと地下掘りの両方を行っている。2001年に発見され2013年から操業が開始した。埋蔵量は銅が1憶トン,金が3000トンと見込まれる。リオ・ティントの経済支援のもと,カナダ地盤のアイヴァンホー・マインとモンゴル国の間で投資の合意がなされている。
乾燥したゴビ砂漠にあり,もともと伝統的な遊牧民の土地である。希少生物絶滅の危機,貴重な井戸が枯れる,粉塵被害など環境面で多くの問題がある。
鉱山位置図(ウィキペディアより)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d1/Mongolia_location_map_2.svg
オユトルゴイ鉱山シャフト(ウィキペディアより)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/35/Oyu_Tolgoi_23.JPG
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問題3
世界レベルのオユトルゴイ鉱山が操業している。この鉱山は砂漠にあるため,多くの環境問題をかかえる。どのような環境課題があるか。
回答例→リンク
まとめ
「モンゴルは北側のシベリア卓状地と南側のタリム・北中国ブロックにはさまれた中央アジア褶曲帯に位置しています。鉱物資源が豊かで,現在,金,銅,鉄,石炭,蛍石の鉱山が盛んに操業しています。最近の大規模な鉱山では環境に配慮した開発を行う必要があります。」
課題
モンゴルは鉱業が主要産業です。そのような鉱物資源を採掘しているか?
付録
動画:モンゴル夏の祭典 観客なし,800年の歴史で初(1分21秒)
https://www.afpbb.com/articles/-/3293665
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問題と回答例
問題1
1939年にモンゴルと当時の満州国国境付近で,日本軍とモンゴル人民軍が戦火を交えた。この事件を何と言うか?
回答例:ノモンハン事件,あるいはハルハ川の戦い。
問題2
外務省所管で政府開発援助(ODA)の実施機関はどこか。
回答例:JICA(国際協力機構)
問題3
世界レベルのオユトルゴイ鉱山が操業している。この鉱山は砂漠にあるため,多くの環境問題をかかえる。どのような環境課題があるか。
回答例 希少生物絶滅の危機,井戸が枯れる,粉塵被害
(以下余白)