尾張・東濃で地質調査

応急修正版:

図がはりつかなくなり,かつソース文から図をはめこめない。

そこで応急的に図ごとに個々のウェブサイトを記した。

 

まえがき

1地質概略   (リンク)

2 地形・地質   (リンク)

3地質調査の基礎 (リンク)

4地質調査体験コース (リンク)

4.1 地層の重なり

4.2 褶曲構造

4.3 地層の分布から地質構造を推定

4.4 JR太多線の地質見どころ

4.5 中山道(御嶽宿-鵜沼宿)の地質見どころ

文献

 

まえがき

東海自然歩道や名鉄広見線沿いの地学ガイドを出版し,太多線沿いの地学ガイドをウェブで公開してきた。これらを使って地域の地質に理解を深めていただいている。

ガイドにしたがい地質を理解することから,さらに進めて,自ら調査して地質図を作りたい,あるいは学校のクラブ活動で地質図作成を行いたいという方がいるかもしれない。

そこで愛知県や岐阜県在住の方を意識して,尾張東濃の地質をモデルとした地質調査法を解説した。この地域以外でも同様のルートマップや地質図を入手して差し替えれば,どこでも地元の地質を利用した地質調査法マニュアルとなる。

小論では,この地域の地質概略を紹介し,続いて地質図作成が体験できる地質調査模式ルートを紹介する。環境調査法の例で放射線量と地質との関係事例,水質調査に基づく光合成体験例を紹介する。無料ソフトを利用した地理情報システムの使い方も紹介する。さらに歴史と地質に親しむ中山道ウォーキング見どころを記した。

 

位置図 四角枠は模式ルート (節4-1, 4-2, 4-3, 5-1) の範囲

http://y95480.g1.xrea.com/inuyama_mitake_owari_index.jpg 

------------------

1. 地質概略

 

図1-1 地質概略図

 http://y95480.g1.xrea.com/owari_1_1.jpg

産総研地質図に加筆。ローマ数字のIIIからXで示した範囲は「名鉄広見線沿線地学」の各章の範囲を示す。

名鉄広見線沿線地学 http://y95480.g1.xrea.com/hiromi_line_geology.htm

新生界; a, 沖積層; t, 段丘堆積物; N3cg, れき層; N1ss, 中新世砂岩泥岩; N1v, 中新世凝灰質砂岩れき岩

中生界; gK, 花こう岩類; Jss, 砂岩泥岩; Jms, 泥岩; Jch, チャート

 

地質総括図

地質時代

地質区分

略号  RGB no

岩相

地史

第四紀

完新世

 

更新世

 

沖積層

緩斜面堆積物

泥流堆積物

段丘堆積物

 

(a)

(s)

(m)

(t)

 

れき,砂,泥

れき,砂,泥

れき,スコリア,泥

れき,砂

 

沖積面形成

 

岩屑なだれ

台地面形成

新第三紀

鮮新世

中新世

 

 

東海層群土岐砂れき層

瑞浪層群   中村層

蜂屋層

 

(N3cg) 255,255,170

(N1ss) 255,255,0

(N1v) 255,170,170

 

れき,砂

砂岩,泥岩

火砕岩,凝灰質砂岩

 

陸成層

陸成層

陸成火山活動

古第三紀

 

 

 

 

白亜紀

安楽寺花こう閃緑岩等

(gK2) 255,170,255

花こう岩類

珪長質岩貫入

 

ジュラ紀

 

 

三畳紀

二畳紀

美濃帯

上麻生ユニット

 

 

 

(Jms) 119,119,119

(Jss) 255,170,0

(Jsi) 255,85,255

(Jch) 255,85,0

 

 

泥岩,異質岩塊を含む

塊状砂岩,砂岩泥岩互層

珪質泥岩

チャート

 

ユニット形成

メランジ形成

砂岩泥岩堆積

珪質泥岩堆積

チャート堆積

地質区分と地史は,吉田・脇田(1999)に準拠し,一部簡略化。

トップへ(リンク)

------------------------

2.地形・地質

本地域に分布する地質系統は,美濃帯中古生界,後期白亜紀の花こう岩,上部新生界の地層に大きく区分できる。美濃帯中古生界とこれに相当する地質体は西南日本内帯に広く分布しており,外帯の秩父帯などと共に日本列島の骨格をなしている。

以下,吉田・脇田(1999)の地質区分に準拠し,地形と地質を説明する。

2.1地形

本地域は地形的に,美濃山地南端部と濃尾平野北縁部にあたる。さらに北側では木曽川が北東から南西に流れている。

山地は独立化が進み,低起伏な丘陵である。主に美濃帯の中古生層からなる。所々で中新世の瑞浪層群や鮮新世の東海層群が中古生層を被覆する。平野部の台地は中新世の瑞浪層群,鮮新世の東海層群と更新世の段丘堆積物からなる。解析された低地は沖積層である。

2.2地質

2.2.1 美濃帯中・古生界

 本地域では美濃帯上麻生ユニットのチャート,砂岩,泥岩が分布する。チャートの下底に後期二畳紀から前期三畳紀の年代を示す珪質粘土岩がわずかに分布する。三畳紀からジュラ紀のチャートとジュラ紀の砂岩や泥岩互層の間には珪質泥岩が整合にはさまる.

 美濃帯堆積岩コンプレックスは,海洋プレートが海嶺で形成されてから海溝に沈み込み,海溝充填堆積物と混じり合い形成された付加体と解釈されている(Wakita, 1988 ほか)。上麻生ユニットで特徴的に観察される復元層序は,“海洋プレート層序”と呼ばれている。木曽川河岸の露頭は国際的に有名で各国の研究者が注目している(例えば,Adachi et al., 1992)。

2.2.2白亜紀花こう岩

 名鉄広見線御嵩付近,同小牧線羽黒と田県神社付近に花こう岩が露出している。吉田・脇田(1999)によると,羽黒付近の花こう岩は,国際地学連合の区分にしたがうと,長石類がアルカリ長石より斜長石が多い花こうせん緑岩である。

2.2.3上部新生界

 上部新生界は,新第三系の瑞浪層群と東海層群,第四系の段丘堆積物と沖積層からなる。

 本地域の瑞浪層群は,下位から,蜂屋層,中村層に区分されている。陸成堆積物であり,瑞浪層群全層序の下部になる(糸魚川,1983)。本地域の蜂屋層は,主に安山岩質火山砕屑岩からなる。中村層は砂岩泥岩からなる。蜂屋層最下部から22.38±0.17MaのジルコンU-Pb年代値が得られている(新正ほか,2018)。

 東海層群は,中新世末-更新世に堆積したもので,本地域には東海層群上部の土岐砂れき層が分布する。主にれきまたは砂れきからなる.東濃地域の本層群中にはさまるテフラからジルコンU-Pb年代3.94±0.07Ma,FT年代3.97±0.39Maが得られている(植木ほか,2019)。

 第四系は,段丘堆積物,泥流堆積物,沖積層に区分できる。本地域では,段丘堆積物が,小牧から犬山,善師野,可児川から御嵩に分布する。砕屑性のれき・砂からなる。泥流堆積物は新可児の北に分布する。火山起源の岩屑なだれ末端堆積物である。本地域の沖積層は,谷底堆積物で,れき・砂・泥からなる。

---------------------------

3. 地質調査の基礎 

 地質を観察できる所は,道路沿いの切り割や川岸などの露頭である。その露頭が苔でおおわれるなどしてわかりにくいことがある。ハンマーで新鮮な面を出す。やたらにハンマーで岩石を割るとひんしゅくを買う。崖から崩れ落ちた岩石片を目立たないように割るのが良い。

野外での観察要点

・地図に現在の場所を記す。

・岩石の種類を決める。

・地層の走向傾斜を測る。

・そのほか気のついたこと(化石の有無,鉱化作用など)を記す。

地層の走向傾斜

 地質調査では,地層がどちらの方向に延長でき,傾きがどのくらいか知る必要がある。延長の方向を走向,傾きを傾斜という。それらを測る道具がクリノメーターである。クリノメーターは高価なので方位磁石で代用しても良い。

・走向 Strike:地層面と水平面と交わる直線の方向。層理面にクリノメーターをあて,水準の泡が中央にくるようにすると,クリノメーターの磁針の読みが走向である。

・傾斜 Dip:走向に直角で水平面となす角度。走向に直交するようクリノメーターの長辺をあてる。クリノメーターの目盛りの内側に下がっている傾斜指針で角度を測る。

方位磁石で代用する場合

 地層と水平面が交わる方向を想定して磁石から走向の方向を知る。地層の傾斜は傾斜方向にノートを立てるなどしてその角度を分度器で求める。

 

図3-1 地層の走向傾斜

http://y95480.g1.xrea.com/owari_3_1.jpg

 

図3-2 傾斜測定

http://y95480.g1.xrea.com/owari_3_2.jpg

黒い傾斜指針の角度をクリノメーターの内側の目盛りから読みとる。

 

歩測測量

 目標とする地点までの長さ(距離)を測るには,巻き尺などのものさしで測る。レーザーでも測れる。

道具を使わず,歩測(ほそく)といって,歩幅(ほはば)で距離を測ることができる。

 そのためにはあらかじめ自分の歩幅がどのくらいかを測っておく。例えば,巻き尺で20mくらい出しておく。20歩で何メートルになるか測り,1歩幅が何cmになるか決める。

目的の点までの方位を求め,歩測でそこまでの距離を測る。

例:

北(磁石の北)の方向にクリノメーターを向けると色がついた磁針は北を示す。

 

図3-3 方位は北

http://y95480.g1.xrea.com/nue_practice1_clino_n.jpg

北東(N45E)の方向にクリノメーターを向けると色のついた磁針はクリノメーターの文字盤の北から45°東(N45E)をさしている。

 

図3-4 方位は北45°東

http://y95480.g1.xrea.com/nue_practice1_clino_ne.jpg

通常の磁石は北を上とすると東は右である。クリノメーターでは東は左になる。これは,クリノメーターの長辺を目的に向けて方位を求めるからである。

 

図3-5 方位は南

http://y95480.g1.xrea.com/nue_practice1_clino_s.jpg

目的が南にあると,針(色がついている方)はSをさす。

 

 このようにしてクリノメーター長辺方向(文字盤のN)を目的物に向けてその磁針を文字盤で読むと目的物の方位がわかる。これと歩測を利用して2点間の距離を知り自分の歩くルート沿いの地図を作ることができる。

地層の表し方,断層,褶曲

 上記で地層の走向傾斜の測り方を記した。「N10E,30W」と読みをそのままノートに記しても良いが,地図に表す記号で記しておくと傾斜方向の勘違いが少なくなる.

地層面(層理面)の種類と走向傾斜の記号

傾斜層では,長い線を走向と平行に配置し傾斜側に短い実線をつける。傾斜角は傾斜側に記す。上位方向確認を示す場合は黒丸をつけることもある。

逆転層 傾斜と反対側にU字形の実線をつけ傾斜角を記す。

水平層 白丸と十字を組み合わせる。

垂直層 もとの地層の上下がわからなければ走向の長い線に短い線を直交させる。地層の上下がわかるなら傾斜層の記号を使い傾斜角90を記す。

 

地層面の記号 

http://y95480.g1.xrea.com/nue_practice1_symbol.jpg

上より通常の傾斜層,逆転層,水平層,垂直層。

 

褶曲(しゅうきょく)と記号

地層が波状に屈曲した構造を褶曲という。山のように曲がった部分を背斜,谷のように曲がった部分を向斜という。

背斜では褶曲の軸を実線で示し,その両側に直交し互いに反対を向く矢印をつける。向斜では軸の両側に直交し,互いに向き合う矢印をつける。

断層と記号 

地層や岩体がある面を境にずれていることがある。断層である。

実在断層は断層が確認できる断層である。地層境界線より太い実線で記す。

推定断層は直接確認できないが,あると推定できる断層である。地層境界線より太い破線で表す。

不整合 

地層が堆積後,あるいは火成岩形成後,隆起し,地表にあらわれた後に風化・削剥作用を受け,浸食面上にあらたな地層が堆積したとき,両者の関係を不整合という。

 

トップへ(リンク)

-----------------------

4. 地質調査体験コース

4.1 地層の重なり

場所; 可児やすらぎの森

主題; 公園内で地質の露出を記載しながら地層の重なりを体験する。

 

図4-1-1泥岩(シルト岩)

http://y95480.g1.xrea.com/owari_4_1_1.jpg

 

図4-1-2地質踏査図(ルートマップ)

http://y95480.g1.xrea.com/owari_4_1_2.jpg

凡例; sd, 砂岩; md, 泥岩; sd_md, 砂岩泥岩互層; gravel, れき層; 赤の破線, 調査ルート。

 

瑞浪層群の中村層の砂岩や泥岩が露出する。地質概説の地質図の中村層を細分した岩相で示している。

地層はわずかに南から南西に傾いている。ルートは南に向かい標高が高くなる。そこで南に向かい上位層が露出する。最南にれき層が分布,それまでの中村層に不整合で重なる。地層の重なりと分布をまとめると次のような地質図となる。

 

図4-1-3地質図

http://y95480.g1.xrea.com/owari_4_1_3.jpg

凡例; sd, 砂岩; md, 泥岩; sd_md, 砂岩泥岩互層; gravel, れき層

 

露出のない所の地質を推定して,地質踏査図に地質界線(地質の境界)を加え地質図にする。地層の傾きは小さいので,地質界線は地形図の等高線にわずかに斜交する。北から南の地質断面は次のようになる。下から砂岩,砂岩泥岩互層,砂岩,泥岩となる。不整合でれき層が重なる。

 

地質断面

http://y95480.g1.xrea.com/owari_yasuragi_section.jpg

地形や地層の傾斜が任意 (フリーハンド) の概念図

 

4.2 褶曲構造

 褶曲構造の例を体験する。地層が波状に屈曲した構造を褶曲といい,山のように曲がった部分を背斜,谷のように曲がった部分を向斜である。

背斜記号 褶曲の軸面と基準面との交線(軸跡)を実線で示し,その両側に直交し互いに反対を向く矢印をつける。

向斜記号 軸跡の実線の両側に直交し,互いに向き合う矢印をつける。

 

場所:多治見駅西と小泉駅西の林道

主題;小泉より西の林道と多治見の西の林道の間には地質図オーダーの背斜構造がある。池田富士付近で露頭オーダーの褶曲を観察できる。

 

図4-2-1地質踏査図 (ルートマップ)

http://y95480.g1.xrea.com/owari_4_2_1.jpg

凡例;ch,チャート;砂岩,泥岩をはさむ; gravel,れき層

 

 多治見駅と小泉駅から西側の山塊の地質は,主に中生代の砂岩(Jss)からなり,チャート(Jch)をはさむ。多治見駅西側の林道(図の南側)では地層の走向が東西方向で南に傾斜,小泉駅西側の林道(図の北側)では北傾斜である。これらの間に次の地質図のように背斜構造が想定される。

 

図4-2-2 地質図 

http://y95480.g1.xrea.com/owari_4_2_2.jpg

背斜構造の北と南にチャート層が分布する。

 

 地質図でチャート層は西に向かい閉じる形なので,褶曲軸(背斜軸)は西へ傾斜している。南北方向の地質断面は下の図の通り。

 

地質断面

http://y95480.g1.xrea.com/owari_koizumi_section.jpg

地形や地層傾斜が任意のフリーハンド概念図

 

小褶曲構造

 池田富士近くの露頭でチャートに小褶曲構造を観察できる。その褶曲軸は,地質図サイズの褶曲軸と同じで西に傾斜している。この地域の褶曲構造ができるときに平行してできた構造と考えられる。

 

図4-2-3 小褶曲

http://y95480.g1.xrea.com/owari_4_2_3.jpg

池田富士そば。褶曲軸の方向や落としの向きは,地質図の褶曲軸と平行である。

 

4.3 地層の分布から地質構造を推定

場所;春日井三山

主題;地層の連続,異なる時代の地層の重なりなどを総合した地質図を作る。その上である特定の地層の分布から地質構造を推定する。

 春日井市の植物園の東側の山塊は,南より道樹山,大谷山,弥勒山の春日井三山である。これら三山は東海自然歩道沿いにある。山塊の地質はチャート,砂岩,泥岩,石灰岩からなる。これらの岩石の形成は異なる時代であるが,混在した地質体(付加体堆積物)になったのはジュラ紀と考えられている。植物園の西側の丘陵や低地には,第四紀のれき層が広く分布している。下位の砂岩や花こう岩がわずかに露出する。

 

図4-3-1 春日井三山周辺の踏査図(ルートマップ)

http://y95480.g1.xrea.com/owari_4_3_1.jpg

凡例;ls,石灰岩;ch,チャート;ss_ms,砂岩泥岩;gr,花こう岩;gravel,れき層。

 

図4-3-2 春日井三山周辺の地質図

http://y95480.g1.xrea.com/owari_4_3_2.jpg

凡例;ls,石灰岩;ch,チャート;ss_ms,砂岩泥岩;gr,花こう岩;gravel,れき層。

 

 地域の東半分に中生代の古期岩類が分布している。このうちチャートの分布に着目すると,地形の高いところから低いところに南に向かって伸びているので,地層は南ないし南南東に傾斜していることがわかる。道樹山山頂近くで地層の境界と等高線350mの交わりはENE-WSW方向である。これは地層の走向である。その境界は,走向線から水平面で200m進むと等高線250mと交わる。すなわち,水平方向200mで100m低くなる。傾斜をXとすると,tan X=100/200=0.5で,X=27°となる。

地域の西半分に分布するれき層は,上部新生界で,古期岩類を不整合におおう。

 以上地質調査法について解説した。次にJR太多線の駅を起点とした地質見どころと中山道御嶽宿から鵜沼宿間の見どころを紹介する。

 

4.4 JR太多線の駅からの地質見どころ

4.4.1 下切駅周辺から広見線可児川駅へ →リンク

 主に新生界の地層からなる。ルートは平地で,単調である。今城址や隠れキリシタン受難の地をめぐる。

下切駅沿革(ウィキペディアより抜粋)

1952年(昭和27年)12月26日,日本国有鉄道の駅として開業。旅客営業のみ。

1987年(昭和62年)4月1日,国鉄分割民営化により,JR東海の駅となる。

概説 地域の地質は,中生代のチャート(Jch),新生代新第三紀前半の火山砕屑岩からなる蜂谷層(N1v),砂岩や泥岩からなる中村層(N1ss),新第三紀後半から第四紀前半の土岐れき層(N3cg),第四紀の段丘堆積物(t),泥流堆積物(m),沖積層(a)からなる。地域の南西部では丘陵部でチャートと中村層からなる。北側に広く分布する土岐れき層とは地形的に不連続で,両者は断層関係にある(産総研)。

 

図4-4-1-1 下切ルートの地質図

http://y95480.g1.xrea.com/shimogiri_geo.jpg

産総研地質図を加筆修正。

 

観察要点 下切駅と可児川駅を結ぶ東海自然歩道を見学ルートとする。

 河川の水質調査の定点地(地点1)に寄るため下切駅から遠回りしているが,駅近くの道で西に向かいすぐに自然歩道に沿いことができる。

 自然歩道の案内に沿い南に進みゆるい坂を上ると,今城跡への案内がある(地点2)。そこから今城跡は歩いてすぐである。跡地であるが,看板や歩道が整備されている(地点3)。一帯は土岐れき層である。

 自然歩道にもどり案内に沿い北へ向かう。途中に山の斜面に太陽光発電パネルが設置している(地点4)。露出は少ないが,丘陵は土岐れき層である。農業大学校付近には中村層の砂岩や泥岩が露出する。

 案内に沿って進むと,信号がある交差点のかどに美濃尾張キリシタン顕彰碑がある(地点5)。尾張地方の隠れキリシタンに関連したものであるらしい。

 地域全般の東海自然歩道沿いで田んぼに利用されている平坦地は,段丘堆積物である。第四紀後半の堆積物である(地点6)。

 可児川駅からのルートは,「広見線沿線地質ガイド」に詳しい。可児川河床に降りることができるので,下切駅同様に水質調査の定点地(地点7)としている。地質は火山れき凝灰岩である。

 

図4-4-1-2 今城案内(地点2)

http://y95480.g1.xrea.com/shimogiri_photo1.jpg

 

図4-4-1-3 今城跡(地点3)

http://y95480.g1.xrea.com/shimogiri_photo2.jpg

 

図4-4-1-4 美濃尾張キリシタン顕彰碑(地点5)

http://y95480.g1.xrea.com/shimogiri_photo3.jpg

 

図4-4-1-5 段丘堆積物(地点6)

http://y95480.g1.xrea.com/shimogiri_photo4.jpg

 

図4-4-1-6 火山れき凝灰岩(地点7)

http://y95480.g1.xrea.com/shimogiri_photo5.jpg

 

4-4-2 根本駅周辺

地形図の基本となる三角点や電子基準点,それに根本城もめぐる。

根本駅略史(ウィキペディアより抜粋)

1920年(大正9年)2月15日,東濃鉄道(初代)の駅として開業。

1926年(大正15年)9月25日,東濃鉄道の国有化により,鉄道省太多線の駅となる。

1928年(昭和3年)10月1日, 改軌新線開業により廃止。

1952年(昭和27年)12月26日,新線上で日本国有鉄道(国鉄)の駅として再開業。

1987年(昭和62年)4月1日,国鉄分割民営化により,東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる。

概説 根本駅から,東側に独立した小山を,西側に山稜を見ることができる。東の小山は高根山でチャートからなる。西側は高社(たかやしろ)山をピークとして南北方向にのびる山稜で,チャート(Jch),砂岩(Jss),泥岩(Jms)からなる。いずれも中生代の地層である。根本駅とそれらの山塊の間は,東海層群の土岐れき層(N3cg)とそれを覆う第四紀の段丘堆積物(t)や河川沿いの沖積層(a)である。

 山稜の中生代の地層と緩斜面の土岐れき層との境は,地形的に不連続で断層関係にある(産総研のシームレス地質図より)。

 

図4-4-2-1 根本周辺の地質図

http://y95480.g1.xrea.com/nemoto_geo.jpg

産総研地質図を加筆修正。

 

観察要点

 根本駅から山稜に向かう道沿いには土岐れき層がところどころに露出する(例えば地図上の地点1)。

 緩斜面を西へ歩いていくと山稜縁沿いの県道に至る。山稜縁沿いは,中生代の地層と土岐れき層の境は断層(産総研)で地形的に不連続である。

 高社山と周辺の山道に至る登り口が県道沿いに2ヶ所ある(地点2と3)。

 山稜の山道を北へたどると高社神社(地点4)を経て,根本城址(地点6)に至る。根本城址周辺は中生代の泥岩である。

 根本城址に向かう途中で,ゴルフ場付近ではれき層である(地点5)。県道沿いの断層を境に西側で100mほどの高くなっていることがわかる。

 高根山の遊歩道沿いにはチャートが露出している。かつてはマンガンを採掘し,トロッコでふもとの集積場に運んでいたという(地元の人の話)。

 チャート層にれき層が重なっているところがある(地点7)。中生代に形成されたチャートの上に,新生代になってできた湖でれきが堆積したものである。その境界には2億年の時間間隙がある。不整合である。

 高社山(地点8)や高根山(地点9)の山頂には三角点がある。三角点は地図作成の基準となるものである。三角点間の距離や角度は三角測量で求めることができる。長年の測量から地殻変動などを求めることができる。現在では人工衛星を利用することで,その場所の緯度や経度を求める。

 現在では電子基準点が設けられ,常時人工衛星を利用して大地の動きを監視している。根本駅周辺では,高根山から東の北栄小学校の隣にある公園内に電子基準点がある(地点10)。

 

図4-4-2-2 山稜登り口(図4-4-2-1の地点2)

http://y95480.g1.xrea.com/nemoto_photo1.jpg

 

図4-4-2-3 根本城址(図4-4-2-1の地点6)

http://y95480.g1.xrea.com/nemoto_photo2.jpg

 

図4-4-2-4 高根山のチャートとれき層の関係(図4-4-2-1の地点7)

http://y95480.g1.xrea.com/nemoto_photo3.jpg

 

図4-4-2-5 高社山の三角点(図4-4-2-1の地点8)

http://y95480.g1.xrea.com/nemoto_photo4.jpg

 

図4-4-2-6 電子基準点(図4-4-2-1の地点10)

http://y95480.g1.xrea.com/nemoto_photo5.jpg

 

付録 三角測量,三角点,電子基準点の原理

 地上で実際に測った一本の線を基礎に次々に三角形の内角を測定することで点の位置を決定していくのを三角測量という。三角点(写真4)はこのような三角測量を行う際,経度・緯度・標高の基準になる点である。三角点それ自体も,日本の基準点から順に三角測量を行って位置を決めたものである。

 最近は,三角測量によらず,人工衛星を使って位置を決めることが多い。GNSS (Global Navigation Satellite Systems) 測量という。ほかの基準点から見通せなくても位置を決められる。

 電子基準点(写真5)とは,人工衛星の電波を受けて正確な測量を行うための基準点。電子基準点同士の相対的な位置関係を利用して,地殻変動の監視を行っている。

 

4-4-3 小泉駅から西へ,林道を経て東海自然歩道へ

  砂岩がおおむね北へ傾斜する。シデコブシ自生地がある。

小泉駅略史(ウィキペディアより抜粋)

1918年(大正7年)12月28日:東濃鉄道(初代)新多治見駅 - 広見駅間の開通と同時に開業。

1926年(大正15年)9月25日:東濃鉄道の国有化により鉄道省太多線の駅となる。

1928年(昭和3年)10月1日:改軌新線開業により現在地に移転。

1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い,JR東海の駅となる。

概説 小泉駅から西に向かい林道沿いの地質を見学しながら東海自然歩道に至る。小泉駅付近の沖積層(a),山側に向かう道沿いのなだらかな傾斜地に段丘堆積物(t),東海層群の土岐れき層(N3cg)が分布する。山塊部はチャート(Jch)と砂岩(Jss)からなる。土岐れき層が覆っているところもある。

 

図4-4-3-1 小泉西の地質図

http://y95480.g1.xrea.com/taita_koizumi_geo.jpg

産総研地質図を加筆修正。

 

観察要点

 小泉駅(地点1,図4-4-3-2)を出て道を左(南)にたどる。太い道に出たら右(北)へ向かう。地図を参照して,道なりあるいはやや細い道をたどりながら西に向かう。土岐れき層がところどころに露出する。山稜の森に至り林道(才竹線)に入る(地点2,図4-4-3-3)。少し行くと二つの林道に分かれる。ここでは右側の林道(大沢線)をとる。この分岐周辺には砂岩が露出している(地点3,図4-4-3-4,5)。地層は北北西に傾斜している。

 しばらく行くとシデコブシの案内(地点4,図4-4-3-6)がある。シデコブシ(学名:Magnolia stellata)は,落葉小高木から低木のモクレン科モクレン属に属する。和名は,花の形がコブシに似ており,花被片が白く細長く伸び,しで(しめ縄や玉串につける紙)のようであることに由来する(ウィキペディアより)。東海地方の一部の湿地の自生個体群は絶滅危惧に指定されている。

 シデコブシ自生地から先(西)の林道沿いにところどころにチャートが露出する。大沢グランドは土岐れき層からなっている。大沢グランドをすぎると東海自然歩道に合流する(地点5,図4-4-3-7)。

 

図4-4-3-2 小泉駅舎

http://y95480.g1.xrea.com/taita_koizumi_photo1.jpg

 

図4-4-3-3 林道入口

http://y95480.g1.xrea.com/taita_koizumi_photo2.jpg

 

図4-4-3-4 林道沿いの砂岩(その1) 

http://y95480.g1.xrea.com/taita_koizumi_photo3.jpg

地層が成層している。

 

図4-4-3-5 林道沿いの砂岩(その2) 

http://y95480.g1.xrea.com/taita_koizumi_photo3.2.jpg

砂岩は薄い泥岩(中央の暗灰色部)をはさむ。

 

図4-4-3-6 シデコブシ自生地

http://y95480.g1.xrea.com/taita_koizumi_photo4.jpg

 

図4-4-3-7 東海自然歩道に合流

http://y95480.g1.xrea.com/taita_koizumi_photo5.jpg

 

4-4-4 多治見駅から西へ,池田富士を経て東海自然歩道へ →リンク

 砂岩はおおむね南へ傾斜する。

 小泉のルートと組み合わせ,地層の走向傾斜から褶曲(背斜)構造があることがわかる。砂岩中のやや薄いチャートの分布からも褶曲を理解できる。上記の4.2褶曲構造の解説のモデルコースである。

多治見駅略史(ウィキペディアより抜粋)

1900年(明治33年)7月25日:名古屋駅から官設鉄道が敷設され,終着駅として開業する。

1902年(明治35年)12月21日:官設鉄道が中津駅(現在の中津川駅)まで延伸され,途中駅となる。

1918年(大正7年)12月28日:東濃鉄道が新多治見駅から広見駅(現在の可児駅)まで敷設され,新多治見駅が開業する。

1926年(大正15年)9月25日:東濃鉄道が国有化され,太多線の所属となる。同時に新多治見駅を多治見駅に統合する。

1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。

概説 多治見駅から西側の山塊の地質は,主に砂岩(Jss)からなり,チャート(Jch)をはさむ。産総研の地質編集図には,小規模な石灰岩(Jls)も報告されている。地質構造は走向が東西方向で南に傾斜である。北隣の小泉駅西側では北傾斜であるので,多治見駅西側のこの山塊の北側に背斜構造が想定される。

 山稜で地形がなだらかな部分には,新第三紀末の東海層群の土岐れき層(N3cg)が分布する。山稜東端から多治見駅にかけては沖積層(a)である。

 

図4-4-4-1 地質図

http://y95480.g1.xrea.com/taita_tajimi_geo.jpg

産総研地質図を加筆修正。

 

観察要点

 多治見駅から,中央本線沿いの道に沿って池田地区に至り,池田富士に向かう林道に入る。林道入り口や林道の要所に池田富士方面の案内が整備されている(地点1,図4-4-4-2)。

 案内にしたがって進むと池田富士登リ口に至る(地点2,図4-4-4-3)。わきの道を伝って池田富士山頂(地点3,図4-4-4-4)に至る。小さな社がある。池田富士周辺のチャートには小褶曲構造が発達している(地点4,図4-4-4-5)。

 池田富士から西に山道をたどる。途中に伊吹山が見通せる場所がある。さらに進んで山道が終わり車道となる。東海自然歩道で,少し歩くと春日井三山に至る山道の登リ口がある(図4-4-4-6)。

 

図4-4-4-2 池田富士案内板(図4-4-4-1の地点1)

http://y95480.g1.xrea.com/taita_tajimi_photo1.jpg

 

図4-4-4-3 池田富士登り口(図4-4-4-1の地点2)

http://y95480.g1.xrea.com/taita_tajimi_photo2.jpg

 

図4-4-4-4 池田富士山頂付近(図4-4-4-1の地点3)

http://y95480.g1.xrea.com/taita_tajimi_photo3.jpg

 

図4-4-4-5 チャートの褶曲構造(図4-4-4-1の地点4)

http://y95480.g1.xrea.com/taita_tajimi_photo4.jpg

 

図4-4-4-6 東海自然歩道,春日井三山登山道入口

http://y95480.g1.xrea.com/taita_tajimi_photo5.jpg

 

4-4-5姫駅,下切駅から可児駅へ 

大森川に沿い河床を観察して新第三紀の砂岩や泥岩の重なりを理解できる。

(1) 姫駅から丘陵をこえて大森川沿いを歩く

姫駅を出て道を横切り丘陵の住宅街の道を進む。歩道橋からの道がしっかりしている。途中にれき層がある。坂を上がり切ると峠にれき層。松伏住宅内を下ると,れき層の次にチャートが露出する。褶曲しているものがある(図4-4-5-1)。平地に出ると日帰り天然温泉「三峰」がある。

松伏橋(まつぶせばし)から大森川沿いの道を北(下流)へ。河床にチャートが露出。

びわほら橋あたりから新第三紀の砂岩やシルト岩が露出するようになる。谷あいに砂岩とシルト岩の崖がある。

大森公民館あたりで川は太い道沿いに流れる。田中橋で東海歩道と交差。少しだけ東海歩道に寄ると砂岩とシルト岩を観察できる。クロスラミナがよくわかる。

再び大森川沿いに進むと河床に砂岩とシルト岩を観察できる。岩端橋や大森大橋の河床にも砂岩とシルト岩の露出がある。

大森川は久々利川に合流する。そのあたりから川沿いの歩道は整備されていないので,川沿いを離れ可児駅へ至る。

 

図4-4-5-1 褶曲したチャート

http://y95480.g1.xrea.com/taita_hime_photo1.jpg

 

(2) 下切駅から東の東海自然歩道

下切駅からすぐ西で北へ向かう道を進むとじきに姫川となる。

神田橋(じんでんばし)から河床に砂岩,シルト岩。的場橋から川を離れ,丘陵の道沿い,旭小学校通学路,すぐの住宅の裏に砂岩,シルト岩が露出する。丘陵の頂上手前はラミナが発達して砂岩,また砂岩にれき層が重なるのを観察できる(図4-4-5-2)。

坂の頂上付近はれき層である。道を降りきると「大森城跡」の案内板があるが,見にくくなっている。県道交差点には「大森皿屋敷古墳」の案内がある。横穴墓とある。

田中橋で大森川を横切る。ラミナ砂岩で礫を含む。シルト岩をはさむ。トンネルを出たところに東海歩道案内がある。

森本橋で久々利川下流にむかい川沿いの道を歩く。シルト岩砂岩が河床に露出する。高脇橋から川を離れ可児駅に向かう。

 

図4-4-5-2 砂岩層の上にれき層が重なる

http://y95480.g1.xrea.com/taita_hime_photo2.jpg

 

4-4-6 広見線可児川駅から太多線可児駅へ

可児川沿いの遊歩道を利用して新第三紀の地層を観察する。

可児川駅からの要点を記す。可児駅からの場合は逆に行程となる。

可児川駅を出て南に向かう。つまり駅の前の道を左に進む。踏切を渡り工場(カヤバ株式会社)を左側にしばらく道なりに進む。信号交差点で右に曲がり進むと可児川に至る。途中にコンビニエンスストアがあるので携行食を求めることができる。可児川にかかる橋は「戸走橋」と書かれている。橋の下にはあらかじめ見た火山礫凝灰岩が露出している。

川沿いに道があり,それに沿って歩く。途中で二の井大橋と今春橋がある。その間,川岸の道から河床を見降ろしながら歩く。概して暗色の岩石で数センチ程度の火山礫が散在している。

今春川を過ぎると道路の左側は壁になっている。一段高い段丘堆積物で,その上に愛知用水路が通じている。道沿いで広場になっているところがある。木曽川泥流と書かれた看板があり,火山礫泥流堆積物の岩塊を見ることができる。古御嶽火山の泥流である。国道248号線が南北に通じていて,可児川大橋で川をまたぐ。このあたりから砂岩や泥岩の地層が露出する。火山礫凝灰岩と比べ,白っぽく明るい色調である。

鳥屋場あたりで東からの久々利川と合流し,可児川本流は北へ流れていく。この付近では砂岩や泥岩の露出があり,橋から白っぽい河床を見ることができる。地層面の様子もよく見ることができる(図4-4-6-1)。太多線を横切ってすぐに左に(北に)進み数百メートルで左に可児川をまたぐ橋がありじきに可児駅(新可児駅)に着く。

 

図4-4-6-1 地層面のようすがよくわかる

http://y95480.g1.xrea.com/taita_kanigawa_photo1.jpg

 

トップへ(リンク)

 

4.5 中山道地質めぐり‐御嶽宿から鵜沼宿

参考資料:美濃中山道連合(2016) 岐阜県十七宿散策ガイド,第10版

 中山道は,江戸日本橋から京都三条大橋まで69宿,約532kmの街道であった。江戸時代の万治2年(1659年)に主要五街道(東海道,中山道,甲州街道,奥州街道,日光街道)が整備され,その中でも「東海道」と「中山道」は,江戸と京を結ぶ重要幹線として機能した。東海道は川を渡ることが多く,天候により支障が起きるが,中山道は多くの旅人の往来に好まれた。

 名称の由来は,日本国土の中間の山道として中仙道とも記されたが,1716年に徳川幕府は中山道と名称を統一した。

 京から江戸へ公家の姫君が将軍へ降嫁するルートに利用された。水戸尊攘派が京都の徳川慶喜を慕って粛然と進むルートでもあった。ここでこのガイドマップ内の御嶽宿,伏見宿,太田宿,鵜沼宿周辺の地学見どころも記し,歴史を偲びながら中山道地質めぐりをする。

 

4.5.1 御嶽宿

 御嶽宿は,古くから願興寺の門前町として栄えていた。中山道の宿場でもいち早く,慶長7年(1602年)に整備され,人や物の往来でにぎわっていた。名鉄「御嵩(みたけ)」駅から東に続く町並みには,本陣跡や商家竹屋など,当時の面影が残されている。

 地質の上では,当地が戦後しばらくまで亜炭の産地であったことがあげられる。中山道みたけ館には,炭鉱で使われていたドリルなどの用具が展示されている。「御嵩口」駅には亜炭の集積場として引込み線があった。今も放棄されたフォームがあり当時の面影を残す。

 

図4-5-1-1御嶽宿,竹屋

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_1mitake.jpg

 

 

図4-5-1-2 みたけ館

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_2mitakekan.jpg

 

図4-5-1-3 亜炭掘削用ドリル

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_3dril.jpg

 

4.5.2 御嶽宿から伏見宿

 御嶽宿から西に向かうと「御嵩口」駅北の中山道沿いに鬼の首塚の遺構が残っている。「顔戸」駅北の街道沿いには炭鉱の坑口跡がある。その西に比衣一里塚跡の碑がある。

 

図4-5-2-1 鬼の首塚

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_5oniduka.jpg

 

図4-5-2-2亜炭鉱山坑口

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_6mine.jpg

 

図4-5-2-3比衣一里塚跡

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_7ichiriduka.jpg

 

4.5.3 伏見宿

 伏見宿は,御嶽宿に遅れること90年後に整備された。現在は,わずかに残る古い町並みや本陣跡が往時のなごりをとどめている。

 

図4-5-3-1 伏見宿本陣跡

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_9fushimi.jpg

 

伏見宿から太田宿

このルートは,ほとんどが国道および市道で交通量が多い。往時の面影はほとんどない。国道21号線と可児市役所に向かう県道交差点付近に真新しい一里塚跡の碑がある。

太田宿近くの太田橋を渡ると化石林公園の看板がある。珪化木を野外展示した公園である。この珪化木は中新世の蜂谷層から産出する。付近の木曽川が渇水で水位が下がった折に大量の珪化木が現れたということである。

 

図4-5-3-1 中山道一里塚の跡

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_13ichiriduka.jpg

 

図4-5-3-2 化石林公園

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_14kaseki_park.jpg

 

図4-5-3-3 珪化木

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_15keikaboku.jpg

 アオイ科の絶滅した仲間の樹幹化石,ワタリアである(西野,2026)。湿地を好んだ。当時中新世(1900万‐1600万年前)は世界的温暖期で今より4℃高かった。

 

4.5.3 太田宿

太田宿には尾張藩太田代官所があった。太田代官所は木曽川筋の軍事・政治・経済の中枢として,落合宿から鵜沼宿までを統括していた。旧本陣の表正面,旧脇本陣,旅籠小松屋などが残る。太田宿中山道会館では中山道の資料やビデオを見ることができる。会館の庭にはこの地の出身の文豪,坪内逍遙の胸像がある。

 

図4-5-3-1 旅籠小松屋

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_16komatsuya.jpg

 

図4-5-3-2 文豪坪内逍遙胸像

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_17tsubo.jpg

 

4.5.4 太田宿から鵜沼宿

大半が国道21号線である。これに平行する木曽川の堤防の遊歩道を歩くと快適である。行幸巌から対岸にはチャートの露岩を見ることができる。昭和2年に昭和天皇が行幸され,その後も多くの皇族がこの地に寄られている。

岩屋観音付近の地質は層状チャートである。JR高山本線をくぐり山道に入る。石畳の道として整備されている。うとう峠の一里塚が残っている。

 

図4-5-4-1 行幸巌(みゆきいわ)

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_19gyouko.jpg

 

図4-5-4-2 岩谷観音,周辺の地質は層状チャート

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_20iwaya.jpg

 

図4-5-4-3 うとう峠の一里塚

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_21uto.jpg

 

図4-5-4-4 石畳の街道

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_22iwadatami.jpg

 

4.5.5 鵜沼宿

 鵜沼宿は,江戸から数えて52番目の宿場になる。南へ約2kmに犬山城がある。宿内は古い家並や酒造が保存改修され,往時の宿場町として再生されている。古墳の案内も整備している。

 日本列島の地図作成をした伊能忠敬一行の測量方が1809年に宿泊している。鵜沼宿西のはじには,御岳山崩壊による木曽川泥流堆積物の露頭とその説明版がある。そのほか街道沿いに衣裳塚古墳がある。

 

図4-5-5-1 鵜沼宿標識

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_22unumajyuku.jpg

 

図4-5-5-2 衣装塚古墳

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_23kofun.jpg

 

図4-5-5-3 泥流堆積物

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_25flow.jpg

http://y95480.g1.xrea.com/owari_8_26flow.jpg

 

トップへ(リンク)

 

文献

未完